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KIND OF BLUE 59 - MILES DAVIS

KIND OF BLUE 59 - MILES DAVIS

COLUMBIA (CL1355[mono])

US Press Original、MONO 6 eyes Deep Groove Label/深溝/CBS無、オリジナル盤 
Matrixは両面刻印の1  
 

Miles Davisの口癖と言われる「So What(だから何だ?)」をタイトルに冠した一曲目からアルバムは始まります。[Blue In Green]は、Bill Evansが時間をかけた熟慮の末に和音の循環の中から優雅で美しい世界を紡ぎ出した曲でモダン・ジャズの歴史の中でも群を抜いて美しい曲の一つとされ、ミニマル・ミュージックの先駆とも言われています。しかし、Milesの名義で著作権登録されたため、作曲者であるEvansは生涯にわたってこれを不満に感じていたという。その後、Bill Evansのアルバムで幾度かこの曲が演奏された際には、作曲者はBill Evans単独か、Miles Davisとの共作という形で表記された。KIND OF BLUEは、モダン・ジャズの歴史上でも屈指の傑作アルバムとされ名盤中の名盤、20世紀を代表する1枚!モード・ジャズを代表する作品の一つです。そのコンセプト[モード・ジャズ/モーダル・ジャズ(Modal Jazz)]は以後のジャズ界に留まらず多くの音楽に大きな影響を与えた。世界的にも広く愛聴され、発表後半世紀近くを経ながらミリオンセラーを達成、現代までジャズ・アルバムとしては異例のセールス記録している。Miles/Cotrane/Evansを擁したメンバーよる、たった5曲が収録されているだけのアルバムですが、神がかり的な歴史的瞬間を捉えた音楽の記録、演奏内容が凄い。このアルバムだけで一冊の本が出るくらいの逸話に包まれています。ジャズのアドリブは原則として一定の[理論]に基づいておこなわれています。その理論のもっとも代表的なものがビバップと呼ばれるスタイルで、チャーリー・パーカーによって確立されたと言われています。このスタイルは、ひと言で言うと、コード(和音)とその進行に則して、アドリブで使える音やフレーズを決定していくというもので、コード進行(和音)を極度に細分化することによって、複雑で緊張度の高いアドリブを実現することが出来ます。ビバップからハードバップへと移ると、次第にコード(和音)進行が複雑になり、どのプレーヤーの演奏も似てきてしまいます。ハードバップも次第にマンネリ化し、大きな壁にぶつかることになります。Mile Davisは1958年のアルバム『Milestones』の中で新たな試みをします。それは、これまでのコード進行に縛られた演奏からプレーヤーを解放するために、“コード(和音)”という考え方を否定し、曲のコード進行をなくして、あるスケール(音階)にしたがってアドリブ(即興演奏)をするという手法でした。これによってアドリブの自由度が高まり、ジャズの新たな可能性が生まれたのです。このスタイルをモードジャズと言います。ハードバップがエキサイティングで迫力のある演奏がある、モードジャズは耽美的で繊細な美しさがあると言えます。
『KIND OF BLUE』がその典型で、これまでのジャズとは一線を画しています。1960年頃からはじまったモードジャズは、Bill EvansがMiles Davisにモード奏法を教えたのが始まりと言われています。「Mode」という現在でも非常に重要な音楽理論を用い、新しい流れを先導したとも言われる歴史的な作品です。

Mile Davis(trumpet)/Julian"Cannonball"Addeley(alto saxophone)/Paul Chambers(Bass)/Jimmy Cobb(drums)/Jhon Cotrane(tenor saxophone)/Wynton kelly.Bill Evans(piano)


1. So What
2. Freddie Freeloader
3. Blue In Green
4. All Blues
5. Flamenco Sketches

[6eye:50年中~60年初期まで使われていたCOLUMBIAのレーベルで赤黒の黒の部分の目が6個あるので6アイと呼ばれました。60年代後半プレスでは赤だけになり目が2個になり2アイと呼ばれています。CBS無:60年代初めのプレスでは時計で言うと12時の位置にCBSの文字が入るようになります。CBSが無いのが初期プレス。モノ/ステレオがどの位プレスされたかは分かりませんが、初回盤は5万枚出されたと言われています。Minimal Music:音の動きを最小限に抑え、パターン化された音を反復させる音楽。1960年代から盛んなり、単にミニマルと呼ばれることもある。モード・ジャズ/モーダル・ジャズ:コード進行(和音)よりもモード (旋法)を用いて演奏されるジャズ。モード(旋法):曲を構成し演奏するための元となる、スケール(音階)と、1オクターブ内の音の配列のこと。その場合、無数に存在する様々なスケールと区別するため、いくつかの限定されたきまりがある。成立したのは、中世以前に成立した教会旋法からといわれているが、その起源は、古代ギリシアの時代まで遡るともいわれている。1950年代後半~1960年代初頭、マイルス・デイヴィスなどによって、研究の末、積極的にジャズにも取り入れられ、特に即興演奏(アドリブ)に効果を発揮した。モード奏法の確立によって、自由な発想でアドリブ演奏ができるようになったと言われている。モードと呼ばれるものは7種類あり、大きく分けると「長旋法」と「短旋法」とに分けることができる。和音の構成において、基音(ルート)に対して、長短3度のどちらの音がその和音に含まれているかによって、その和音の長短が判別される、モードにおいても、それぞれの音列の1度の音に対して、長短3度の音のうち、どちらの音が含まれているかによって分類される。(この場合の長短は、長調=majorと短調=minorを指す]

モード (旋法)
グレゴリアンモード
長旋法

Ionian (アイオニアン)
Lydian (リディアン)
Mixolydian(ミクソリディアン)
短旋法
Dorian(ドリアン)
Aeolian(エオリアン)
Phrygian(フリジアン)
Locrian(ロクリアン)

音の配列と、個々の音の間の半音・全音の関係。基音は、Cとする。
アイオニアン(CM7→CM7)
ド(全) レ(全) ミ(半) ファ(全) ソ(全) ラ(全) シ(半)ド

ドリアン(Dm7→Cm7)
ド(全) レ(半)♭ミ(全) ファ(全) ソ(全) ラ(半)♭シ(全)ド

フリジアン(Em7→Cm7)
ド(半)♭レ(全)♭ミ(全) ファ(全) ソ(半)♭ラ(全)♭シ(全)ド

リディアン(FM7→CM7)
ド(全) レ(全) ミ(全)#ファ(半) ソ(全) ラ(全) シ(半)ド

ミクソリディアン(G7→C7)
ド(全) レ(全) ミ(半) ファ(全) ソ(全) ラ(半)♭シ(全)ド

エオリアン(Am7→Cm7)
ド(全) レ(半)♭ミ(全) ファ(全) ソ(半)♭ラ(全)♭シ(全)ド

ロクリアン(Bm7♭5→Cm7♭5)
ド(半)♭レ(全)♭ミ(全) ファ(半)♭ソ(全)♭ラ(全)♭シ(全)ド

(オリジナルのMONO盤は激レアで高価です!他の保有の激レア盤と同じく売ってくれと言われています)



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HI,WE ARE THE MIRACLES 61 - THE MIRACLES

HI,WE ARE THE MIRACLES 61 - THE MIRACLES

TAMLA (Press Original)

50年代中頃にハイスクールの友人らとMIRACLES の母体となるThe Five Chimes が結成された。彼の妹 Claudette Rogers がグループに加入した頃、THE MATADORSと改名。Jackie Wilson のソングライターだった Berry Gordy Jr. が彼等を気に入り、彼等をTHE MIRACLESと命名し、58年にニューヨークのEND からGOT A JOB でデビューさせた。その後、Berry Gordy Jr. が設立した新しいレーベル Motown/Tamla(当初、配給は Chess )へ移籍。最初の大きなヒットは、60年の Shop around で、R&Bチャート第2位・ポップチャート第1位で、一躍スターとなり、Motown の名も広く知られていく。2年後にリリースした You've really got a hold on me が、R&Bチャート第1位・ポップチャート第2位という快挙となった。65年の Going to a go-go で、R&Bチャート・ポップスチャートともに第5位を獲得、I'm the one you need がトップ20に達するなど、大スターとなった。この後、グループ名を Smokey Robinson & The Miracles に変更。67年、70年、次々とヒットを重ねた。70年にWILLIAM“SMOKEY”ROBINSONはソロとして独立する。 Billy Griffin がリードボーカルとして加入し、再び The Miracles で活動を続け、当時のディスコブームに乗りヒットを放った。Smokey Robinson も75年に City of angels がヒット。77年新しいメンバーを加え、Columbia へ移籍する。SMOKEYはMIRACLESでの歌手活動だけでなく、作曲家として所属アーティストに多くの楽曲を提供、1961年からは副社長になりゴーディと二人三脚でモータウンをもり立てていく。ボブ・ディランはその作り出す楽曲のクオリティの高さからスモーキーを「アメリカの偉大な詩人」と評した。1988年にモータウンがMCAレコードに売却されると1990年に会社を離れたが、1999年にモータウン・レーベルに復帰した。60年のヒット曲、SHOP AROUND収録の滅多に見ない!激レアなオリジナル、ファースト・アルバム。ドゥー・アップ色は残っているが来るべきMOTOWNの隆盛を予感させるアルバム!

SHOP AROUND/MONEY 収録

PRODUCED:BERRY GORDY,JP

1. Who's Lovin' You
2. Depend on Me
3. Heart Like Mine
4. Shop Around
5. Won't You Take Me Back?
6. Cause I Love You
7. Your Love
8. After All
9. Way over There
10. Money (That's What I Want)
11. Don't Leave Me


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OTIS BLUE:OTIS REDDING SINGS SOUL 65

OTIS BLUE:OTIS REDDING SINGS SOUL 65
OTIS REDDIMG

VOLT (Press Original) MONO

それまで小さなレコード会社から若干のレコードを発売したこともあったオーティスに転機が訪れるのは1962年、メンフィスでのことである。デビューに関してのOTISの有名な、同郷のミュージシャン、ジョニー・ジェンキンズのレコーディングに運転手として同行したスタックス・レコードで、彼は空き時間に歌わせて欲しいと申し出たという伝説。(実際はATLANTIC「配給を担当」」の地区の担当者にレコーディングすることを、予め告げられていた)その時吹き込んだデビュー作が有名な自作のTHESE ARMS OF MINEでスタジオ中を驚かせた、THESE ARMS OF MINEは80万枚も売れるヒットを生み出し、まだ小さかったスタックスを世界にとどろく名門レーベルへと急上昇させる一因となったと言われている。「レーベルのVOLTはSTAXの傘下レーベルとして62年に出来た、その第一弾はOTISのSINGS SOUL BALLADS。3枚目「ATCO/VOLT]となる本作は録音が確認されている60年から、オーティス、バックバンドバーケイズのメンバー、スタッフの乗った自家用飛行機が、ウィスコンシン州マディソンに向かう途中モノナ湖に墜落。パイロットを含む4人が死亡した(生存者が1名)1967年12月10日までの短い活動期間の最高傑作/名盤!である。死の3日前に録音された『DOCK OF THE BAY』は、ビルボード誌で、1968年3月16日に週間ランキング第1位を獲得し、オーティスにとって唯一のビルボード誌週間ランキング第1位の曲。また、STAXで初めてステレオ録音された重要なアルバム。STEREO盤ではエンジニアとして呼ばれた、TOM DOWDがスタジオの機材を修理して新たにOLE MAN TROBLE/RESPECT/I'VE BEEN LOVING YOU TOO LONGを録音し直した。曲によってはモノ(シングル)&ステレオの2ヴァージョンが録られたらしい。アルバムは名作/名曲だらけです、1曲目の「OLE MAN TROBLE」。その後、派手に「RESPECT」が登場する。力強いブッカーT&The MG'sの演奏も実によくマッチしてます。バッキングの見本みたいな伴奏で、素晴らしく歌を引き立ててます。サザンソウルの金字塔的バラード「I'VE BEEN LOVING YOU TOO LONG」。カヴァーでは敬愛するサム・クックで「CHANGE GONNA COME」、「SHAKE」、「WONDERFUL WORLD」、テンプスの「MY GIRL」、ソロモン・バークの「DOWN IN THE VALLEY」、ストーンズの「SATISFACTION」、スタックスの先輩ウィリアム・ベルの「YOU DON'T MISS YOUR WATER」どれもオーティスのオリジナルとして聴ける独自の解釈で素晴らしいです。異色ですがB.B. Kingのブルース「ROCK ME BABY」もあります。全曲アル・ジャクソンのタイトなドラムを軸に名演ばかりです。SOULの新境地を開いたオーティスの凄さが堪能できます。1970年代後期、息子のデクスターとオーティス2世は、いとこのマーク・ロケットとともに、ファンク・ディスコ系のバンド、ザ・レディングスを結成した。MONO盤は超レアです!

(もう1枚はステレオ盤です)

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NEVER MIND THE BOLLOCKS HERE'S THE SEX PISTOLS

NEVER MIND THE BOLLOCKS HERE'S THE SEX PISTOLS 77
THE SEX PISTOLS

VIRGIN (UK Press Original) 

パンクのイメージを決定づけた衝撃的なイギリスのパンク・ロックバンド、セックス・ピストルズ (Sex Pistols)。初にして唯一のオリジナルアルバムは'70年代のロック・シーンを揺るがした最大の衝撃言われている『勝手にしやがれ/NEVER MIND THE BOLLOCKS HERE'S THE SEX PISTOLS』。1970年代のロックミュージックシーンが演奏テクニックや理論を重視する音楽(プログレッシヴ・ロックetc)が溢れていた頃、ロンドンのキングスロードでヴィヴィアン・ウエストウッドデザインの服を売る小さなブティーク 『SEX』 を経営しアメリカでニューヨーク・ドールズのマネージャーを務めるなど、ニューヨーク・パンクに触れ、パンク・ロックをイギリスで流行させようと目論んでいたマルコム・マクラーレンが、『SEX』に出入りしていたSteve Jones(ギター)、Paul Cook(ドラムス)、John Lydon(ヴォーカル)と、ブティークの従業員であったGlen Matlock(ベース)の4人がロックバンドとして結成させた[この結成が伝説になっているが実際はポールとスティーヴなどの何人かがすでにバンドを結成していて、マルコムの店で働いていたためにマルコムと関係するようになった]。ザ・クラッシュ、ダムドらとともにパンクロックムーブメントを代表するバンドの1つ。これらのバンドは、パンクロックの創生期とされる為初期パンクと呼ばれ、当時のセンセーショナルさから、世界中の様々なアーティストに影響を与えた。オリジナル・アルバムはわずか1枚、デビューから解散までの活動期間は1年と2ヵ月。'75年頃から活動を開始、'76年に「アナーキー・イン・ザ・UK」で衝撃的なデビューを飾りパンクの一大ムーブメントを起こすとともに、その言動やファッション[切り裂いた洋服を安全ピンで留め、短くカットされツンツンに立てられたヘア・スタイルは、元々リチャード・ヘル(テレヴィジョンやハートブレイカーズの創設メンバーであるニューヨークのミュージシャン)がやっていたものを、マルコム・マクラレンがセックス・ピストルズにフィードバックしたものという説、ジョニー・ロットンが、アンチ・ファッションとして、当時ロングヘアが流行っていたために短くしたりしていたという説など色々な説がある]が、テクニック/音楽理論を必要としないシンプルで攻撃的な演奏がその後のロックに大きな影響を与えた。'77年にGlen Matlockがビートルズ、ポール・マッカートニーが好きであると公言したことを理由としてマルコム・マクラーレンに脱退させられた(実際には他のメンバー、特にジョニーとの軋轢が限界に達したために、自らバンドを去った)、代わりにセックス・ピストルズの熱狂的なファンであり、John Lydonと親交のあったポゴダンス[ぴょんぴょんと真上に飛び上がる動きを繰り返すダンスで、パンクの演奏者や観客が行うのがよく知られる。名前の由来は玩具のポゴ・スティック、日本ではホッピング]を考案したとされるSid Viciousが加入し、ヴィジュアル面でよりパンク的でスター性のあるバンドとなった。「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」がチャートで1位になるが、放送禁止となる。77年、ビートルズの『ホワイト・アルバム』を手がけたクリス・トーマスのプロデュースでファースト・アルバム『勝手にしやがれ』を製作、EMI/A&Mなどメジャー契約を結ぼうとしたがメジャー・レーベル契約のプログレッシブ・ロックのミュージシャンたちの強硬な反対やバンド側の姿勢などで、最終的に当時新興だったヴァージン落ち着いた、でも、マイク・オールドフィールド(ヴァージン契約第1号ミュージシャンでもある)が最後まで契約に反対していた。予約だけでゴールド・ディスクを獲得。翌年、アメリカ・ツアー終了後に突然の解散宣言が表明された。ジョニーはその後PILを結成、シド[Sid Vicious (本名、ジョン・サイモン・リッチー - John Simon Ritchie)は、極度の麻薬中毒者としても知られる。パンクロックを地で行く生き方から「パンクの精神」と呼ばれ、崇拝する人間はイギリス国内外問わず数多い]は、79年にヘロイン過剰摂取により21歳にして他界、1979年2月2日。大手音楽レーベルや政府、ロイヤルファミリーまでを標的にした歌詞、破れた洋服を安全ピンで留めるファッション、短くカットされツンツンに立てられたヘア・スタイル、インタビューでは人を馬鹿にしたような態度/SHIT,FUCK を連発するなど、このバンドの権力や体制に反抗的な態度は、不満を抱えた若者たちを駆り立てる結果となり、イギリスでは放送禁止令まで受けてしまうが、世界中の若者たちにとっては反抗を象徴する存在だった。その一方で保守的思想の愛国主義者からはその言動や楽曲、ファッションまでが敵視され演奏会場の提供拒否や排斥運動が起こり、メンバーが右翼の暴漢に襲われて重傷を負うまでに高まった。MI5(英国機密情報局)にはセックスピストルズに関する膨大な量の資料『1977年コンテンポラリーミュージック破壊活動分子』が残されている。



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THERE'S NO PLACE LIKE AMERICA TODAY 75 - CURTIS MAYFIELD

THERE'S NO PLACE LIKE AMERICA TODAY 75
CURTIS MAYFIELD

Curtom / Buddah CU5001 (PRESS ORIGINAL)

”今日のアメリカのような場所はどこにもない”―良くも悪くもとれる言葉だが、このアルバムではネガティヴに、この言葉を響かせている。車に乗った幸せそうな白人家族の看板の前で、食料の配給を待っている、列をなす黒人達。この皮肉なとりあわせ。このタイトル・ジャケット[女流写真家マーガレット・バーク・ホワイトの有名な(ルイヴィルの洪水の犠牲者たち)をイラストにした]で見せるラディカルさは、いつも穏やかなイメージを持たせる CURTISなだけに驚きである。唯一A③が心暖まるラブ・ソングだが、社会状況の厳しさ。日常生活の困難さなどを、直接的にしろ間接的にしろ歌ったものがほとんどだ。A①音数も少なく、思わず息を飲むような1分近いイントロの後に歌われるのは、ストリート・ギャングだった友人Billy Jack が撃ち殺されてしまった、という物語。「FREDDIE’S DEAD」の続編ともいえる曲だが、この中にあるのは、もっとしっかり生きなきゃ、という説教でなく、どうしてこんなことになっちゃうんだろう、単純な悲しみだ。B②③④はどれも、不況や失業、貧困といったことをテーマに、愛の問題を絡めて色々な角度から歌っている。こうした歌の内容をさらに際立たせているのが、バックのサウンドだ。ストリングは控え目にした隙間のあるサウンドで、複数のギター(ほとんどがワウワウ等のエフェクターを使っている)の絡みが凄い特色となっている。ギターはCURTISの他に GARY THOMPSON、PHIL UPCHURCH,の二人がクレジットされているが、フレーズなどをきっちり決めずに絡みあっていく様は凄い。それもバリバリ弾きまくるのではなく、音数はあくまで少なめで、すすり泣くようなフレーズ交錯し合う、その混沌・クールさは、SLYの「暴動」などにも通ずる。リズム・セクションも表にでず、実にルーズだ。それだけに、時おり出てくるホーン・セクションも効果的。最初に触れたA①や、A②やB②のイントロもそれぞれ1分、30秒と長く、それだけに緊張もしてしまうが、歌が始まってもバックの隙間のある音が逆に全体を引き締め、CURTISのファルセット・ヴォイスが異常な緊張感を持って聞き手に迫ってくる。セールス的には成功しなかったが、内容は後世に残る充実した BACK TO THE WORLD と並ぶ傑作。

<90年8月ステージの照明器具の下敷きになって重症、首から下が付随になってしまった。・・・『ゴー・アヘッド・メイフィールド』 Aretha Franklin>
1942年6月3日、カーティス・メイフィールド、シカゴに生まれる。10代の始めから教会で歌い始める、作曲を始めたのもこの頃で、それは主にゴスペル・ソングだった。56年、14歳の時にシカゴのノース・サイドへ引越した頃にはアルフォトーンズというR&Bのヴォーカル・グループを作っていた。57年ジュリー・バトラー、サム・グッデン、リチャード&アーサー・ブルックスと《 The Impressions 》を結成。58年(FOR YOUR PRECIOUS LOVE)が大ヒットする。
その後、ジュリー・バトラーがソロとなり、フレッド・キャッシュが新メンバーになる。 この時代の《 The Impressions 》 はバトラーの印象が強かったが、バトラー脱退後はカーティスがシンガー/ギタリスト/ソング・ライターとして《 The Impressions 》の中心となっていき、60年から他のシンガーにも曲を提供し始める。61年 Vee-Jay から ABC に移る、その頃ブルックス兄弟がグループを離れ、カーティース・グッテン・キャッシュの3人になる、アレンジャーにジョニー・ペイトを迎えカーティスのそれまでにないタイプのハイ・テナー・ヴォイス/ファルセットを駆使したリード、ユニゾンを多用した洗練されたトリオのコーラス、ゴージャスなホーンを含むダイナミックなオーケストレイション、カーティスのシャープなギター・カッティングで、ソリッドなサウンドを生み出し、それにカーティスの独特な曲が加わり(シカゴ・ソウル)が生まれた。61年~64年にかけて「ジフシー・ウーマン」「イッツ・オール・ライト」「トーキング・アバウト・マイ・ベイビー」「アイム・ソー・プラウド」「アイブ・ビーン・トライング」「キープ・オン・プッシング」「ピープル・ゲット・レディ」などに数々にヒット曲を放つ、それらのヒット曲は10代の頃からゴスペル・ソングを書いていたカーティスだけに非常にゴスペル的で歌詞の内容もやり続けよう、前進しようというポジティヴなメッセージが中心で、時に中性的とか植物的とか証されるカーティスの歌声と、ギター・カッティングが全体を締め、ソリッドな感覚を出している。《 The Impressions 》は60年代半ばに波に乗り、カーティスも他のシンガーの作曲・アレンジ・プロデュースをやり始める。「ジュリー・バトラー」「メジャー・ランス」「ビリー・バトラー」「ジーン・チャンドラー」どれも完成度は高い。66年〈 Windy C 〉レーベルを興し、「The Five Stairsteps 」などをデビューさせるがシングル8枚だけの発売に終わったが、68年 《 The Impressions 》共々、ABCを離れ自分の著作権を管理する音楽出版や録音スタジオを有するレーベル〈CURTOM〉を設立。カートムの第一弾は《 The Impressions 》の「ジス・イズ・マイ・カントリー」で今までのより、ストリート感覚が増したものになっていた。カートム設立後のカーティス/インプレッションは、60年代末から70年代にかけて、SLY や JB を中心に生み出されたファンクに影響を受け、シカゴの都会的な音にファンクの要素を取り入れ、独特な音を作り上げた。70年、カーティスが《 The Impressions 》を離れソロ・アーティストして活動を開始してから顕著になっていく。硬質なビートを刻むドラムとベースそれにストリングスを絡め、パーカッションの多用と楽器のワン・コードに近い反復フレーズやヴォーカルのインプロヴィゼーション、それにカーティスの音の最大の特色であるワウ・ワウ・ギター、規則正しいリズム・カッティングよりもワン・フレーズを肉声に近く響かせ全体に凄い緊張感を与えている。 基本は都会のソウルである。
70年~71年「カーティス」「カーティス/ライブ」「ルーツ」などは1曲7~8分というものが多く、ヴォーカルだけでなく全体の演奏を重視したもので、グルーブを持続させ一体感を持たせている。72年のサントラ盤「スーパー・フライ」がサウンド・クリエイターとしてのカーティスの名を一層広めた。ニューヨークを舞台に、”ブラック・シネマ”のハシリとなった映画で「フレディーズ・デッド」「スーパー・フライ」のミリオン・セラー・ヒットを生む、音を厚く轢き詰めるのではなく、音を抜くことでクールなサウンドを作り出した。この成功で、グラディス・ナイト&ザ・ピップス、ステイプル・シンガーズなど多くのサントラ盤を手掛ける。70年前半から、黒人の意識の高揚を反映したゴスペル的でポジティヴな、さあ!やり続けよう、前進しようといったものから、泥沼化したベトナム戦争・失業・貧困・人種差別などの問題を歌い、まわりの現実を直視して平和を求めていくという内省的なものが多くなっていった。その代表作で傑作が、73年の「バック・トゥ・ザ・ワールド」であり、76年の「ゼアズ・ノー・プライス・ライク・アメリカ・トゥデイ」である。トータリティを持ったシリアスで内省的なアルバム作りで、CURTOM のスタッフであった、ダニー・ハザウェイ、スティーヴィ・ワンダー、マーヴィン・ゲイとともにニュー・ソウル・ムーヴメントの中心になっていく。70年前半、時代を映し出したメッセージを持ちブラック・パワーに呼応するかのようなアフロ的な音作りで、ニュー・ソウルの推進者になったカーティスだが、「ゼアズ・ノー・プライス・ライク・アメリカ・トゥデイ」以降、社会的なメッセージを持った曲はほとんどなくなり、メロウなラヴ・ソングが多い良質なソウル・アルバムを数多く生んで行く。70年後半から80年代はディスコ・ブームなどもありマイ・ペースで地味な活動で、カートム・RSO・ボードウォーク・CRCとレーベルを移っていく。しかし、60/70年代には、ソウル・シーンをリードし活性化させた張本人であり、その才能と影響力は計り知れない!いつの時代でも”ラブ&ピース”を訴え、誠実に歌い込んでいく。カーティスは様々面から時代を動かした、稀有な才能を持ったソウル・アーティストである。88年、ソウル・インディ・レーベル、〈イチバン〉と手を組み CURTOM を復興し「Live In Europe 」を発表する。90年、スタジオ録音としては約5年ぶりの「Take It The Streets 」発表、久々に復活の手応えを感じさせた矢先、90年8月ステージの照明器具の下敷きになって重症、首から下が不随になってしまう。91年1月に行われた”ロックンロールの殿堂 ”の式典で、病床からではあるが、徐々に回復しつつあるカーティスの、ちょっと寂し気ながらもいつも通りの穏やかな笑顔が会場のスクリーンに映し出され、満場の温かい拍手をうけた。96年、再起不能と言われたが「NEW WORLD ORDER」で奇跡の復活を果たす。

1999年12月26日ジョージア州の病院にて、死去。享年 57才。

『歌手として、演奏者として、みんなを楽しませるだけじゃなく、共感できるテーマを伝えるのも大切なんだ。平和という言葉が意味するところは、そのひとつじゃないだろうか。生まれてきた子供も何十年か経てば死んでしまうが戦争なんかで死ぬために生まれてくるんじゃない、絶対に。アメリカで生きていると、実に様々な問題にぶつかる。私は平和が好きだ。この事は、私自身のあらゆる考えの基本となっている。』


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