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THERE'S NO PLACE LIKE AMERICA TODAY 75 - CURTIS MAYFIELD

THERE'S NO PLACE LIKE AMERICA TODAY 75
CURTIS MAYFIELD

Curtom / Buddah CU5001 (PRESS ORIGINAL)

”今日のアメリカのような場所はどこにもない”―良くも悪くもとれる言葉だが、このアルバムではネガティヴに、この言葉を響かせている。車に乗った幸せそうな白人家族の看板の前で、食料の配給を待っている、列をなす黒人達。この皮肉なとりあわせ。このタイトル・ジャケット[女流写真家マーガレット・バーク・ホワイトの有名な(ルイヴィルの洪水の犠牲者たち)をイラストにした]で見せるラディカルさは、いつも穏やかなイメージを持たせる CURTISなだけに驚きである。唯一A③が心暖まるラブ・ソングだが、社会状況の厳しさ。日常生活の困難さなどを、直接的にしろ間接的にしろ歌ったものがほとんどだ。A①音数も少なく、思わず息を飲むような1分近いイントロの後に歌われるのは、ストリート・ギャングだった友人Billy Jack が撃ち殺されてしまった、という物語。「FREDDIE’S DEAD」の続編ともいえる曲だが、この中にあるのは、もっとしっかり生きなきゃ、という説教でなく、どうしてこんなことになっちゃうんだろう、単純な悲しみだ。B②③④はどれも、不況や失業、貧困といったことをテーマに、愛の問題を絡めて色々な角度から歌っている。こうした歌の内容をさらに際立たせているのが、バックのサウンドだ。ストリングは控え目にした隙間のあるサウンドで、複数のギター(ほとんどがワウワウ等のエフェクターを使っている)の絡みが凄い特色となっている。ギターはCURTISの他に GARY THOMPSON、PHIL UPCHURCH,の二人がクレジットされているが、フレーズなどをきっちり決めずに絡みあっていく様は凄い。それもバリバリ弾きまくるのではなく、音数はあくまで少なめで、すすり泣くようなフレーズ交錯し合う、その混沌・クールさは、SLYの「暴動」などにも通ずる。リズム・セクションも表にでず、実にルーズだ。それだけに、時おり出てくるホーン・セクションも効果的。最初に触れたA①や、A②やB②のイントロもそれぞれ1分、30秒と長く、それだけに緊張もしてしまうが、歌が始まってもバックの隙間のある音が逆に全体を引き締め、CURTISのファルセット・ヴォイスが異常な緊張感を持って聞き手に迫ってくる。セールス的には成功しなかったが、内容は後世に残る充実した BACK TO THE WORLD と並ぶ傑作。

<90年8月ステージの照明器具の下敷きになって重症、首から下が付随になってしまった。・・・『ゴー・アヘッド・メイフィールド』 Aretha Franklin>
1942年6月3日、カーティス・メイフィールド、シカゴに生まれる。10代の始めから教会で歌い始める、作曲を始めたのもこの頃で、それは主にゴスペル・ソングだった。56年、14歳の時にシカゴのノース・サイドへ引越した頃にはアルフォトーンズというR&Bのヴォーカル・グループを作っていた。57年ジュリー・バトラー、サム・グッデン、リチャード&アーサー・ブルックスと《 The Impressions 》を結成。58年(FOR YOUR PRECIOUS LOVE)が大ヒットする。
その後、ジュリー・バトラーがソロとなり、フレッド・キャッシュが新メンバーになる。 この時代の《 The Impressions 》 はバトラーの印象が強かったが、バトラー脱退後はカーティスがシンガー/ギタリスト/ソング・ライターとして《 The Impressions 》の中心となっていき、60年から他のシンガーにも曲を提供し始める。61年 Vee-Jay から ABC に移る、その頃ブルックス兄弟がグループを離れ、カーティース・グッテン・キャッシュの3人になる、アレンジャーにジョニー・ペイトを迎えカーティスのそれまでにないタイプのハイ・テナー・ヴォイス/ファルセットを駆使したリード、ユニゾンを多用した洗練されたトリオのコーラス、ゴージャスなホーンを含むダイナミックなオーケストレイション、カーティスのシャープなギター・カッティングで、ソリッドなサウンドを生み出し、それにカーティスの独特な曲が加わり(シカゴ・ソウル)が生まれた。61年~64年にかけて「ジフシー・ウーマン」「イッツ・オール・ライト」「トーキング・アバウト・マイ・ベイビー」「アイム・ソー・プラウド」「アイブ・ビーン・トライング」「キープ・オン・プッシング」「ピープル・ゲット・レディ」などに数々にヒット曲を放つ、それらのヒット曲は10代の頃からゴスペル・ソングを書いていたカーティスだけに非常にゴスペル的で歌詞の内容もやり続けよう、前進しようというポジティヴなメッセージが中心で、時に中性的とか植物的とか証されるカーティスの歌声と、ギター・カッティングが全体を締め、ソリッドな感覚を出している。《 The Impressions 》は60年代半ばに波に乗り、カーティスも他のシンガーの作曲・アレンジ・プロデュースをやり始める。「ジュリー・バトラー」「メジャー・ランス」「ビリー・バトラー」「ジーン・チャンドラー」どれも完成度は高い。66年〈 Windy C 〉レーベルを興し、「The Five Stairsteps 」などをデビューさせるがシングル8枚だけの発売に終わったが、68年 《 The Impressions 》共々、ABCを離れ自分の著作権を管理する音楽出版や録音スタジオを有するレーベル〈CURTOM〉を設立。カートムの第一弾は《 The Impressions 》の「ジス・イズ・マイ・カントリー」で今までのより、ストリート感覚が増したものになっていた。カートム設立後のカーティス/インプレッションは、60年代末から70年代にかけて、SLY や JB を中心に生み出されたファンクに影響を受け、シカゴの都会的な音にファンクの要素を取り入れ、独特な音を作り上げた。70年、カーティスが《 The Impressions 》を離れソロ・アーティストして活動を開始してから顕著になっていく。硬質なビートを刻むドラムとベースそれにストリングスを絡め、パーカッションの多用と楽器のワン・コードに近い反復フレーズやヴォーカルのインプロヴィゼーション、それにカーティスの音の最大の特色であるワウ・ワウ・ギター、規則正しいリズム・カッティングよりもワン・フレーズを肉声に近く響かせ全体に凄い緊張感を与えている。 基本は都会のソウルである。
70年~71年「カーティス」「カーティス/ライブ」「ルーツ」などは1曲7~8分というものが多く、ヴォーカルだけでなく全体の演奏を重視したもので、グルーブを持続させ一体感を持たせている。72年のサントラ盤「スーパー・フライ」がサウンド・クリエイターとしてのカーティスの名を一層広めた。ニューヨークを舞台に、”ブラック・シネマ”のハシリとなった映画で「フレディーズ・デッド」「スーパー・フライ」のミリオン・セラー・ヒットを生む、音を厚く轢き詰めるのではなく、音を抜くことでクールなサウンドを作り出した。この成功で、グラディス・ナイト&ザ・ピップス、ステイプル・シンガーズなど多くのサントラ盤を手掛ける。70年前半から、黒人の意識の高揚を反映したゴスペル的でポジティヴな、さあ!やり続けよう、前進しようといったものから、泥沼化したベトナム戦争・失業・貧困・人種差別などの問題を歌い、まわりの現実を直視して平和を求めていくという内省的なものが多くなっていった。その代表作で傑作が、73年の「バック・トゥ・ザ・ワールド」であり、76年の「ゼアズ・ノー・プライス・ライク・アメリカ・トゥデイ」である。トータリティを持ったシリアスで内省的なアルバム作りで、CURTOM のスタッフであった、ダニー・ハザウェイ、スティーヴィ・ワンダー、マーヴィン・ゲイとともにニュー・ソウル・ムーヴメントの中心になっていく。70年前半、時代を映し出したメッセージを持ちブラック・パワーに呼応するかのようなアフロ的な音作りで、ニュー・ソウルの推進者になったカーティスだが、「ゼアズ・ノー・プライス・ライク・アメリカ・トゥデイ」以降、社会的なメッセージを持った曲はほとんどなくなり、メロウなラヴ・ソングが多い良質なソウル・アルバムを数多く生んで行く。70年後半から80年代はディスコ・ブームなどもありマイ・ペースで地味な活動で、カートム・RSO・ボードウォーク・CRCとレーベルを移っていく。しかし、60/70年代には、ソウル・シーンをリードし活性化させた張本人であり、その才能と影響力は計り知れない!いつの時代でも”ラブ&ピース”を訴え、誠実に歌い込んでいく。カーティスは様々面から時代を動かした、稀有な才能を持ったソウル・アーティストである。88年、ソウル・インディ・レーベル、〈イチバン〉と手を組み CURTOM を復興し「Live In Europe 」を発表する。90年、スタジオ録音としては約5年ぶりの「Take It The Streets 」発表、久々に復活の手応えを感じさせた矢先、90年8月ステージの照明器具の下敷きになって重症、首から下が不随になってしまう。91年1月に行われた”ロックンロールの殿堂 ”の式典で、病床からではあるが、徐々に回復しつつあるカーティスの、ちょっと寂し気ながらもいつも通りの穏やかな笑顔が会場のスクリーンに映し出され、満場の温かい拍手をうけた。96年、再起不能と言われたが「NEW WORLD ORDER」で奇跡の復活を果たす。

1999年12月26日ジョージア州の病院にて、死去。享年 57才。

『歌手として、演奏者として、みんなを楽しませるだけじゃなく、共感できるテーマを伝えるのも大切なんだ。平和という言葉が意味するところは、そのひとつじゃないだろうか。生まれてきた子供も何十年か経てば死んでしまうが戦争なんかで死ぬために生まれてくるんじゃない、絶対に。アメリカで生きていると、実に様々な問題にぶつかる。私は平和が好きだ。この事は、私自身のあらゆる考えの基本となっている。』


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